2007年11月30日
長州奇兵隊の隊士たちのお話
こうゆう話大好きです。
もっといろんなこと知りたいです。
長州藩の奇兵隊は長州藩諸隊と呼ばれる常備軍の1つである。「奇兵」とは藩士・武士のみからなる部隊(撰鋒隊)に対して、藩士と藩士以外の武士・庶民からなる混成部隊の意味。「正規兵」の反対語である。
奇兵隊などの諸隊は1863年(文久3年)の下関戦争の後に藩に起用された高杉晋作らの発案によって組織された戦闘部隊である。この諸隊の編制や訓練には高杉らが学んだ松下村塾の塾主・吉田松陰の『西洋歩兵論』などの影響があると指摘されている。当初は外国艦隊からの防備が主目的で、本拠地は廻船問屋の白石正一郎邸に置かれた。本拠地はのちに赤間神宮へ移る。奇兵隊が結成されると数多くの藩士以外の者からなる部隊が編制され、長州藩諸隊と総称される。
同年に奇兵隊士が撰鋒隊と衝突した教法寺事件の責めを負い、高杉は更迭された。継いだ総督は赤根武人、軍監は山県狂介が務めた。同年には、京都で八月十八日の政変が勃発し、朝廷から長州勢力が追放される。翌1864年(元治元年)、新選組が長州藩の攘夷激派を襲撃した池田屋事件の後に長州藩は京都の軍事的奪回を図り、会津藩・薩摩藩の両軍と衝突した。この禁門の変で長州藩は敗北したため朝敵となった。幕府は朝敵・長州藩を伐つため、長州征伐(第一次幕長戦争)を行う。この戦争では奇兵隊も軍事力として戦った。
長州藩が第一次幕長戦争に敗北した後に亡命していた高杉は帰藩。高杉らが藩政の主導権を握り藩の保守勢力を一掃すると、長州藩の方針は倒幕に定まる。翌1865年(元治2年)には幕府によって再び長州征伐(第二次幕長戦争、四境戦争)が行われ、奇兵隊ほか諸隊も戦った。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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